東山加奈子さん:神奈川県出身。4歳よりヴァイオリンをはじめる。北鎌倉女子学園高校音楽科、東京藝術大学音楽学部卒業。第57回全日本学生音楽コンクール東京大会入選、第13回日本クラシック音楽コンクール入賞。現在はソロ、室内楽やオーケストラで演奏活動の他、アーティストのサポートやレコーディング等多方面で活躍中。
近藤:加奈子さんとはワイン飲み友達なので、なんかこうやって改めてインタビューという形で向き合うと照れちゃいますね。でもヴァイオリニストとしての人生について一度じっくり聞いてみたいと思っていたので、今日は楽しみにしてました。まずはじめに、加奈子さんとバイオリンの出会いから、音大を目指すに至った経緯を教えてください。
加奈子さん:本当ですね。コンサート後のコメントのようなものはたまにしますけど、ヴァイオリン人生全般をまとめて話す機会はなかなかないので不思議な感じです。よろしくお願いします!
始めたきっかけは、家の近くの幼児教室でバイオリンを習い始めたことでした。その幼児教育にはピアノ・ヴァイオリン・ソルフェージュなど色んな先生がいたんですが、たまたま誕生日の子に向けてヴァイオリンでハッピーバースデーを先生が弾いてくれたことがあって。ピアノは家にあったけどヴァイオリンは家になかったので、珍しいなって思ってやりたいって言いました。それが3〜4歳くらいだったと思います。
そんな始まりでしたけど、振り返ると祖母や父はクラシックが好きでした。父は海外出張の度にクラシックのCDを買ってきてましたね。家族に音楽関係者は誰もいませんでしたけど、普通の家よりは、クラシックが流れてる環境だったかもしれないです。
その頃から週2回レッスンに通っていたんですけど、本格的になったのは小1で新しい先生を紹介された時でした。音大の先生で、雰囲気が全然違って。生徒の年齢幅も広くて大学生までいましたね。音大受験を考えたのは中学生の時です。自分で選んだというよりも、その先生についてるとみんな音高・音大を受験しているので、自然とそういう雰囲気・ルートになるというか。その頃になると学校から帰宅後はずっとヴァイオリン弾いてましたね。練習は好きじゃないけど、発狂するほど嫌じゃないというか(笑)。
母はレッスンに同席して先生のコメントを一言一句メモしてました。それを元に家でも練習。今思えば親が大変でしたね。でも母は別にプロにしようと思っていたわけじゃないと思う。コンクールに出たりと目標があったので、目の前のそういうものに向けて二人三脚でやっていた感じです。
毎日新聞主催の「全日本学生音楽コンクール」を毎年受けていたんですが、1次予選、2次予選、本選みたいな感じで出場すると自分のレベルがどれぐらいかも分かります。最初は予選レベルで。でも大学受験する頃には、本選まで勝ち残ってる子達と顔馴染みになるレベルにはなっていました。藝大(※ 東京藝術大学)を受験するからには記念受験になっても意味ないし、コンクール本選通らないなら受けたところで…という世界なので、コンクールに通ったら受けてもいいかな、という感じで。コンクールも、落ちるか通るかはなんとなくわかります。仕上がり具合というか。そしてその仕上がり具合はやっぱり練習量に比例しますね。「毎日長時間の練習は大変じゃなかった?」とよく聞かれますが、みんな学校後に塾とか行きますよね夜10時位まで。それと同じです。
近藤:なるほど、何を頑張るか、何に時間を使うかの違いということですね!ベースの素質というか向き不向きはあるんでしょうふけど、その先はやはり練習量、努力によって仕上がり具合が変わるというのは、どの世界でも同じなのかもしれませんね。藝大はたくさんの人が憧れ目指す大学ですし、受かるのは並大抵ではないと思うんですが、何か受験対策みたいなものはされていたんですか?
加奈子さん:藝大の教授のレッスンを受けていました。やっぱり傾向と対策みたいなものがあって。音大を目指す子はみんなそうやって志望大学に勤める先生についてると思います。
習っている先生が本番の入試でも審査員をしているので、なんだか不思議な感じですよね。ついていた先生の門下生は「藝大に受かって当然」みたいな雰囲気があり重圧がすごかったです。なので合格発表で番号があったときは「よかった~」と安堵しました。併願していなかったので、落ちたら浪人でしたしね。
受験では課題曲を弾くというのも勿論あるんですけど、ピアノで言うハノンのような練習曲も試験に出るんですよね。課題曲がどれだけ上手でもそれ弾けないと聞いてすらもらえないんです。他にも副科のピアノや、先生がピアノで弾いた曲を書き取る聴音試験に加えて、実はセンター試験(※現在の大学入学共通テスト)もありました。それが1番緊張して、記憶がないです。ストレスで肋間神経痛になりました(笑)。
わたし実は高校受験の時に藝高(※ 東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校)落ちたんですよね。そのときはやっぱり実力差突きつけられた感じで、わかってはいたけど結構ショックで。でもその経験があったから藝大の受験まで頑張れたんだと思います。
進学した北鎌倉女子学園の音楽科の仲間とは今も演奏会を一緒にしたりしてますし、楽しかったですけどね。
近藤:受験ってやっぱり色々紆余曲折、いろんなアップダウンがありますよね。無事に終えて、藝大に入学してからの4年間はどんな日々でしたか?楽しかったことや大変だったこと、印象的だった出来事などあれば教えてください。
加奈子さん:普通に授業が楽しかったです。ドイツ語や教職の授業もあり、その上でヴァイオリンのレッスンをして。例えば弦楽アンサンブルの授業の中で、適当に仲良い子と組んで学校の部屋でリハーサルしたりしていました。普通の大学生活の中に音楽が入ってる感じです。仲良くワイワイしていましたね。藝祭で仮装して演奏したり、オーケストラも高校では人数いなくてできなかったので楽しかったです。大変なことは…特になかったですね。好きなことやっていたので、充実していました。
そういえば、ある時ついていた先生に「最近××の授業があんまり楽しくないんですよね…」みたいな話をしたんですね。そしたら「どんなことでも、その時間を共有してる以上は何かしら学ぶことがあるから、そういう姿勢でやってみなさい」と言われて。普段ほとんど喋らない先生だったので、印象的でした。そういう気持ちで授業に出てみたら、受け止め方も変わったりして。周りでは先生と合わないからと辞めていく学生もいたので、わたしはこの言葉が聞けて良かったのかなと思っています。
あとは今思えば当時から室内楽、弦楽四重奏をもっとやっておけば良かったですね。卒業後、20代後半ぐらいでサントリーホール室内楽アカデミーに参加したりと没頭しました。オーケストラとは違う面白さがあります。女子4人で結成したんですが、少人数の演奏なので結構緻密で、自分以外の3人がみんな先生みたいな感じでピンポイントに「ここの弾き方が、音程が」と指摘し合うんですよ。だからお互い尊敬し合ってないと成り立たない。音楽のスキルや理解だけでなく、人としてのお互いの理解が大事でした。人生の中であんなに集中して物事を追求した時間は多分ないと思う。1日12時間一緒に練習し、家族よりも一緒に過ごしました。だからこそこれ以上は無理という限界も見えましたけど、ボルドー国際弦楽四重奏コンクールで受賞するという結果を残せたのも良かったです。賞の名前は横文字多すぎて覚えてないんですけどね(笑)
近藤:ヴァイオリニストと聞くと1人で追求しているイメージが強かったんですけど、そうやって仲間と音楽を作っていく過程が楽しいんですね。尊敬する仲間だからこそ一緒にやれるし、音楽への想いがそれぞれあるからぶつかるし…。やっぱりどんな世界においても、そういう面白さ・難しさは共通してるんですね。前半の今回は、幼少期から学生時代を主にお聞きしました。後半の次回は、プロとして活動している現在にフォーカスしてお話をお聞きしたいと思います。今日はありがとうございました。
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PROFILE 近藤有希
フェリス女学院高校、東京大学文学部卒業。大手通信会社を経て現在は外資系金融機関勤務。仕事やプライベートを通じて出逢った様々な人の人生に触れる中で、その人の"A面"だけでなく"B面"を知ることの面白さを実感し、本インタビューサイトb-sideを設立。2児の母として子育てもしつつ、大好きな仕事や、ワイン・ホームパーティ・ダイビングなどの趣味も継続。自分の姿を見た子供たちに「人生って自由で楽しいんだ!」と思ってもらうことが目標。