草ヶ谷昌彦さん:学生時代より先代である父が創業した株式会社ブルックリンの革製品の職人を志し、現在は二代目代表として会社を経営。表参道にあるBROOKLYN MUSEUMには職人として立ち続けており、オーダー品のコンサルティング等も直接請け負っている。
近藤:私が初めてこちらのお店を訪れてから、もう10年近くになりました。あの時は仕事の合間に偶然ふらっと立ち寄ったのですが、お店の雰囲気と素敵な接客、そして唯一無二の革製品にすっかり魅了され、今では愛用品が増えて嬉しいです。手帳を出すと、いろんな方が「どこのですか?」と声を掛けてくれるんですよ。今日はこだわりの作品を手掛けられている草ヶ谷さんに直接お話を聞く機会を頂けて楽しみにしていました。どうぞよろしくお願い致します。
草ヶ谷さんはとても若くして職人になられましたよね。今は2代目の代表という立場でもいらっしゃいますが、最初に職人になろうと思ったきっかけについて教えてください。
草ヶ谷さん:19歳でこの会社に入社して20歳でBROOKLYN MUSEUMという現在の店舗がオープンしたんですが、せっかくだったら自分の手で作品を作れたらいいよねっていう軽いノリから始まりました。そうは言っても凝り性な性格なので、最初の頃は当時1番腕の良い職人さんのところへ毎週通って色々教えていただいたんです。1年ぐらいは休日返上、土日は5時起きの始発で埼玉の赤羽へ通いました。
実は高校卒業後にアパレルファッションの専門学校に行ったんですけど、実践で学んだ方が良いなと思って辞めてしまったんですよね。やはり「お金を払って教えてもらう」のと「お金をもらって学ぶ」の違いは大きいです。まして学費を払っていたのは自分ではないですし。当時は「専門学校ってこんなものか」と思ってしまって。だったら学校辞めて放浪の旅でもしようかなと思っていたら、父が「学校を辞めるのはいいけど、だったら家業を手伝え」と。そんな風に足を突っ込んだのが最初です。
家業を見て育ったせいか、学生の頃からやはりファッションは好きでしたね。当時は会社にセレクトショップのバイヤーさんが来たり、デザイナーさんが来たり。そういう人たちと直接会えることにワクワクするようなミーハー心もありました。
近藤:元々革製品中心のお店としてスタートしたわけではなかったというお話でしたが、そこから現在の形に至る道筋についても教えてください。
草ヶ谷さん:創業当時、ブルックリンのアイテムは、実は革製品ではなく、質の良さ、デザインに拘った靴下でした。それをOEMでやっていて、色んなセレクトショップや、コレクションをやるようなブランドさんとお仕事させていただいていたんです。
元々そんなに大きな会社じゃなかったので、お客様から個別に「財布を作って欲しい」「バッグを作ってほしい」といったご要望を頂いて受けているうちに、革製品のアイテムが徐々に増えていきました。もちろん当時のメインは靴下なんですけど、それ以外の雑貨も、靴以外はほぼなんでもやるようになりました。
その後、時代の流れで3足1000円などリーズナブルなものが出てきて、1足2000円やものによっては5000円という品は、質が良くてもなかなか売れなくなりました。そういった時代背景もあり、少しずつ革製品にシフトしていったんです。
実際、靴下を嗜好品扱いするのは難しいですよね。やはり毎回手洗い…とは行かず、洗濯機を使いたくなると思うんです。対して革製品はやはり嗜好品の要素が強い。「お手入れを自分でやってみようかな」など愛着を持って使っていただけるものなので、今となっては良かったなと思います。
近藤:確かに革製品というのは、思い入れのある一品になりやすいですよね。価格も高価ですし、大人の代名詞というか。その後、お父様の後を継がれたわけですが、職人という立場とはまた角度の違う大変さもあると思います。引き継がれた時の心境や、大事にしてる事などはありますか?
草ヶ谷さん:実は入社した19の時から、自分が30歳になったら父親が60歳、そのタイミングで代表をやると決めていたんです。なので当初から10年後に向けて…と意識してはいました。実際代表になってからも、対外的には社長・会長という形でしたけど、引き継いだというより一緒にやってきた感じですね。職場には子供の時から行ってましたし、そういう意味では小さな頃から洗脳されていたのかもしれません(笑)。当時3歳ぐらいでオフィスも今とは違うんですけど、結構リアルに覚えているんですよね。
先代から変わらず大事にしていることは、物作りにおいてお客様を裏切らないことです。数をもっと作ったり、裏地をレザーから生地に変えたり、安価な代替素材も利用すれば値段はもっと下げられる。でもそれって、今まで使ってくださったお客様からしたらクオリティが下がることになるので、絶対にしません。良い意味でのブラッシュアップや進化はするけど、後退してはいけない。手を抜かないことですね。職人さんにも言いますけど、何十個作ったうちの1つが微妙な出来だったとして、それをOKにしてしまうとその1個を手にするお客様がいらっしゃる。なので職人さんにもそこは繰り返し伝えています。厳しいなと思われるかもしれませんが、でも「1個ぐらいいいじゃないか」ではダメなんですよね。
近藤:ご自身の代になって新たに変化させてきたことや、これからこうしていこうみたいなことってありますか?
草ヶ谷さん:今まではファッションのルールをすごく大事にしてきたんですが、最近では時代に合わせて柔軟性を持たせるようにしています。例えば仕事でスーツを着る人がトートバッグを持つって本来ならありえないんですよね。ブリーフケース等を持っていただくのが正しい着こなし方で。でも今は、トートバックが出てきたり、リュックの方もいますよね。
先代のころはお客様から「リュックを作ってほしい」みたいな声を頂いても、「スーツやジャケットにリュックはちょっと…」みたいに断っていたんです。でもそれはお客様が求めてることなので、代替わりしたし良いタイミングかなと思い、柔軟に対応するようになりました。プラスオンのこだわりとして、相応しいコーディネートの提案も合わせてするようにしています。「こういう鞄を使われるようなら、こういう着こなし方をしてください」といった具合です。それを基に商品サンプルがあったり、サイトにもコーディネート画像を出したり。
元々「背景のない商品を作らない」というポリシーがあるので、「何故これが生まれたのか」「この商品はどんな方にどういう形で使っていただきたいのか」というのを考えてリリースするようにしています。
”基本を知ってるからやっていい事”があると思うんですよね。なので本質を大切にしながら、変化も楽しんで頂きたいです。
近藤:なるほど、「守破離」ですね。こうやってお話を伺っていると、いかに草ヶ谷さんがお仕事がお好きなのかが伝わってきます。だからこそ、BROOKLYN MUSEUMの作品は魅力的なんですね。今日はお仕事を中心にお話をお聞きしましたが、次回はそんな草ヶ谷さんの「ご家庭での顔」を紐解いていけたらと思います。今日はありがとうございました。
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PROFILE 近藤有希
フェリス女学院高校、東京大学文学部卒業。大手通信会社を経て現在は外資系金融機関勤務。仕事やプライベートを通じて出逢った様々な人の人生に触れる中で、その人の"A面"だけでなく"B面"を知ることの面白さを実感し、本インタビューサイトb-sideを設立。2児の母として子育てもしつつ、大好きな仕事や、ワイン・ホームパーティ・ダイビングなどの趣味も継続。自分の姿を見た子供たちに「人生って自由で楽しいんだ!」と思ってもらうことが目標。