
西愛礼さん:1991年生まれ。神奈川県出身。一橋大学法学部卒業後、最年少24歳で千葉地方裁判所の裁判官に任官。在任中に6人に無罪判決を言い渡すなかで、刑事司法の構造的課題に直面し、より当事者に近い立場から法に向き合うべく弁護士の道へ。以後、プレサンス元社長の冤罪事件などを担当し、無罪判決を導く。著書に『冤罪学』『冤罪 なぜ人は間違えるのか』。冤罪防止に向けた制度的アプローチの発信を続けている。
近藤:西さんとは、とある名刺作家さんにお互い名刺を作成していただいたというご縁でお会いしましたね。その後お仕事への想いやそれに付随する人生観をお聞きする中で、わたしの中で西さんの魅力がどんどん深まっていきました。今日はそのエッセンスを余すことなくお聞きしたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。まずは、法曹界を志すまでの歩みについて教えてください。
西さん:小中学生の頃から勉強するのが好きでした。それ位の年齢で勉強ばかりしていると、周囲から「ガリ勉」と言われたり「つまらなくてダサい奴」と思われがちですけど、ある時友人がふと「勉強って楽しいよね」と言ってくれたんです。「勉強好きでいいんだ」と思えたことが、当時の自分にとってはすごく大きな気づきでした。
具体的な進路を意識したのは高校生の頃です。当時は理系も文系も好きでなかなか進路が定まらなかったんですが、友人と夜の公園で語り合っていたとき、「自分にしかできない仕事がしたい」とその彼が言ったんですね。その言葉が心に刺さり、同時に子どもの授業参観に行けるような父親になりたいとも思っていたので、やりがいがあり裁量もある仕事ということで、法律家の道を目指すことに決めました。

近藤:ご友人も素敵ですけど、そのふとした言葉を捉えてご自身の中で「こうありたい」と幼少期から人生観を育まれ行動に移される西さん自身がとても素敵ですね。その後法学部へ進まれて、最初は裁判官からキャリアをスタートされたと伺いました。
西さん:高校から大学にかけての時期、中学時代の先輩と後輩がそれぞれ殺人事件に関わるという出来事がありました。2人とも記憶の中では良い人だったのに、事件を起こしてしまった。「何故なのか…人間というものを知りたい」そんな関心がスタートだったと思います。
具体的に裁判官になりたいと思い始めたのは大学の後半です。私は四人兄弟の長男で、そこまで金銭的に余裕のある家庭ではありませんでした。父も母も一生懸命仕事をして学費や塾代を出してくれていたので、大学卒業後に法科大学院に行くという選択肢は自分の中になく、予備試験に挑戦して在学中に司法試験を受験する道を選びました。この予備試験というものの難易度がそれなりに高く、合格率が3%程度なんですね。法学部で学びながら塾へ行くんですが、塾代が100万円です。親が「自分で振り込みなさい」と用意した100万円を手渡してくれた時は、絶対に合格しなければと思いました。
でも1年目はつい大学生活を楽しんでしまい試験に撃沈しまして。その後先輩とどうしたら合格できるか、というような話をしていた時に「民事訴訟法について、3日で勉強終わらせてきて」と言われたんです。その分野は予備校の授業時間だけでもオンライン講座で36時間あり、2−3ヶ月かけて学ぶような内容です。到底無理だと思いましたが、先輩は「2倍速で授業を聞いたら18時間、1日9時間見れば2日で終わるよ」と言ったんです。限界を決めていたのは自分だと、良い意味でタガが外れたというか、自分でペースを決めて良いんだと思い直し、そこからは起きている間、文字通り1日中勉強しました。楽しかったです。当時法学部生で予備試験の合格者は全国で2−30人程度と言われており、そこに入るには日本一の法学部生にならなければいけない、それがクリアできたら狭き門である裁判官という道も見えてくる、と徐々にイメージができてきました。
近藤:勉強時間のエピソードはすごいですね。確かに限界は自分が決めている。発想の転換もそうですけど、日本一の法学部生になるという目標の言語化も、自分に負けそうになった時には強烈に後押ししてくれる気がします。その後裁判官として仕事を始められ、いかがでしたか?
西さん:最初の3年間は下積みの時期でしたが、実際の裁判で裁判官3人の合議体の一員として事件を進めたり、判決の起案を書いたり、逮捕状などの令状も1年目から担当していました。今でも法律家としての軸はこの3年間で学んだことにあります。
一番印象に残っているのは、刑事の被告人に向かって「無罪」を告げたときの反応です。ホッとしたような顔をされて、それまでずっと張り詰めていたものが一気に緩むのが見てとれました。あの表情は今でも忘れられません。在任中に6人に無罪判決を書きましたが、本来無罪判決というのは言い渡して終わりではないと思うんです。判決を下した後、事件が冤罪だったのであれば振り返って再発を防止する必要がある。けれど実際は振り返る仕組みがない。そこにずっとモヤモヤがありましたが、若手裁判官だからと尻込みしていた部分がありました。
その後職務経験として2年間弁護士として活動する期間があり、その中でプレサンス元社長冤罪事件の弁護団に入りました。その事件は、10年前の別の冤罪事件と状況が酷似していたんです。最終的に無罪となった山岸さんを当時苦しめていたのは、自分が尻込みして取り組まないでいた問題なのだ感じ、もう二度と冤罪で苦しむ人を出すべきではないと、冤罪事件を減らすための取り組みを始めるようになりました。
なぜ冤罪が起きてしまったのかという問いを立てると、つい捜査官への責任追及のようになりがちです。けれど本当に冤罪を減らすためには、責任追求だけではなく原因追求が必要だと思うんですね。医療や航空の世界では、事故があった際の検証と再発防止のプロセスが必ずあります。でも、司法の世界にはそれがない。冤罪が起きたときに、何が原因だったのかを検証する仕組みが必要だと考えています。個人の責任追及だけではなく、構造として振り返る。冤罪は“誰か一人のミス”ではなく、小さな要素が積み重なって起きるものだと思うので。

近藤:責任ではなく原因の追求が大事というのは本当にその通りですね。けれど実際に冤罪学という分野の研究を進めたり、考える必要性について発信していく中で、法曹界からの逆風はありませんか?
西さん:ありがたいことに、応援してくれる方がたくさんいらっしゃいます。この冤罪という問題は、法曹三者(裁判官、弁護士、検察)が協力して防ぐべきだと考えているので、例えばそのなかの誰かだけが悪だといったことは全然言ってないんですね。むしろ協調協同して防いでいければと思っています。ただ捜査機関の側から敵対視される可能性はありますし、その辺りは自分の真意を正しく伝えていく必要性は感じます。冤罪にならないように取り組むことは、実際は捜査機関・裁判所・弁護人の全員にとってメリットがあることなので、手を取り合って研究できると思っています。
そういう点でやはり対話というのはとても大事ですね。冤罪学に取り組むということは、「自分たちは間違える」ということを受け入れることでもあるので、そこにひとつハードルがあると思いますが、裁判官でも検察官でも一対一で話すと分かり合えると経験から感じています。たくさんの方たちときちんと対話をしていくことで協力してくれる方を増やしていきたいと、強く思っています。
近藤:最後はやはり人間同士の対話によって理解し合えるということなのですね。西さんと対峙してお話ししていると穏やかな中に強い情熱を感じるので、きっとお話しされた方々は皆さんそんな西さんのお人柄にも惹かれているのではないかなと感じました。今の営みに至るまでの西さんの軌跡がお聞きでき、とても有意義な時間になりました。ありがとうございました。

all photo by 武川健太
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PROFILE 近藤有希
フェリス女学院高校、東京大学文学部卒業。大手通信会社を経て現在は外資系金融機関勤務。仕事やプライベートを通じて出逢った様々な人の人生に触れる中で、その人の"A面"だけでなく"B面"を知ることの面白さを実感し、本インタビューサイトb-sideを設立。2児の母として子育てもしつつ、大好きな仕事や、ワイン・ホームパーティ・ダイビングなどの趣味も継続。自分の姿を見た子供たちに「人生って自由で楽しいんだ!」と思ってもらうことが目標。