大成裕道さん:日本大学経済学部卒業後、北海道の港湾物流業、横浜の教育事業会社を経て、プルデンシャル生命保険株式会社に入社。ライフプランナーとして年間100世帯以上のコンサルティングを実施する中で、日本における「金融」の捉えられ方や、様々な情報が溢れる社会に対し課題を感じ、2023年に金融教育の専門会社として合同会社フラタニティを設立。主に高校生向けに金融教育の講座を提供し、そのわかりやすさと本質的な内容が高い評価を受けている。

大成さん:こちらこそ、ゆきさんとこんな形で対談できるなんて嬉しいです。私のことほとんどご存知なんじゃないかってくらい会話してきたと思うんですが(笑)、こちらこそよろしくお願いします。

幼少期は、「なんで?」と納得するまで尋ねる子どもだったと思います。祖父母や両親ははぐらかすことなく、きちんと考えて答えてくれました。好奇心旺盛というか、この世界の”ルール”みたいなものに物心がついた時から関心がありましたね。それに加え、特別裕福な家ではありませんでしたが『本だけはいくら買っても良い』という決まりごとがあって、これは今の自分に大きな影響を与えていると思います。両親には本当に感謝していますし、将来自分の子どもにも是非してあげたいことの一つです。

10代も、「世界を知る」というのは常にテーマにありました。世界というのはグローバルな意味ではなく、当時自分が属していたコミュニティのことです。例えば最初の小学校ではみんな下の名前で呼び合っていたのに、転校先では「苗字にさん付けしましょう」という具合に、ルールが少しずつ違う。もちろん従わなかったんですけど(笑)、集団ごとにルールって違うんだな、面白いな、なんてことを考えていました。

ちなみに中学校は「やんちゃなほうがモテる」というルールだったんですよね。私は真面目なので、ルールに従う場合は徹底的に従います。こそ勉とかすると“やんちゃ”に筋が通らないじゃないですか。だから意図的に一切勉強せず、成績がオール2みたいなこともありましたね。

大成さん:そうですね。20代は「行動と経験」の日々でした。大学はアルバイトやインターンやゼミ活動など、思い切り楽しんで卒業しました。新卒では、小説で憧れたというだけの理由で北海道の企業に就職し、真冬は氷点下18度にもなる港で夜通し働きました。石油関係の部門にいたので、現場では怒鳴られながら油にまみれたり、創意工夫が認められて表彰されたりといろいろありましたね。何より上司や同僚がよそ者の私にとても良くしてくれたので、毎日が楽しく学生のような日々を過ごしていました。

ただそんな時に、昔の仲間のひとりが起業したことをfacebookで知ったんです。投稿には、決意とともに不安・経験・信念などが綴られていて、心の底から尊敬の念が湧き、羨ましく思いました。当時の環境は居心地が良かっただけに、危機感が生まれたんです。「自分はこのままでいいのか…?」という問いから逃げられなくなって、横浜にある学習塾運営会社の新規事業開発部門に転職しました。

今度は個の能力が試される新しい環境でがむしゃらに働く中で、徐々に「仕事の意味」や「生きる意味」についても考えるようになりました。学習塾の新校舎を増やすことが会社員としての私に課せられたミッションでしたが、ある時自分が塾を1校舎新しく出店することで、「子どもの教育機会」と「大人の雇用機会」の2つを生みだしていることに気づいたんです。『石を運ぶ人の寓話』でいうところの、石を運んでいた感覚から歴史を作っている感覚になった瞬間でした。その後は仕事が格段に面白くなってパフォーマンスも急激に上がりました。

大成さん:プルデンシャルは学生の頃から知っていました。世間一般のイメージが本当のところどうかはわかりませんが、私は「ものすごい営業会社でかなり体育会系」というイメージでした。入社してみると、これは7割本当、3割冗談という感じでしたね。

私が在籍した支社は、とても厳しく、とても温かい支社でした。マネージャーと支社長は、2年間ほぼ毎日私と面談し、一緒にお客さんへの提案を考えてくれました。温かいですよね。この面談ではお客さまへの提案のレビューをするのですが、それがすごくて(笑) 絶対に、答えをくれないんです。とにかく「なんで?」「それで?」「どうするの?」「それって意味あるの?」と問われるんです。押し黙っていれば、彼らも私が答えるまで黙って待っています。あれ恐かったな(笑)。

そして入社したばかりの私が、ほんのわずかにでも“売るための戦略”を考え出したら、すぐに「大成くんは“何しに”お客さんのところに行ってるの?」と厳しく問われます。このマネージャーというのが、いま私にインタビューしてくれている人なんですけど(笑)。営業が厳しい世界であることは事実なので、正直何度も「こう言ったら売れるのに」と思ったことはありました。でも、これは神に誓って言えるんですが、私がそちらに舵を切ることはありませんでした。

商談の役割は何なのか? "判断材料を提供すること"。自分の仕事は何なのか? "物売りではなく、顧客の問題を解決すること"。自分は何のために生きているのか? "世の中の幸福の総量を増やすため"。このスタンスを確立できたのは、あの時間があったからです。今の事業は、この思想の延長線上にあります。ライフプランナーと、やっていることは変わりません。ただ、縁やタイミングが結びつき、今の仕事への使命感が生まれた。だからやらないという選択肢がなかった。そんな感じです。

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PROFILE 近藤有希

フェリス女学院高校、東京大学文学部卒業。大手通信会社を経て現在は外資系金融機関勤務。仕事やプライベートを通じて出逢った様々な人の人生に触れる中で、その人の"A面"だけでなく"B面"を知ることの面白さを実感し、本インタビューサイトb-sideを設立。2児の母として子育てもしつつ、大好きな仕事や、ワイン・ホームパーティ・ダイビングなどの趣味も継続。自分の姿を見た子供たちに「人生って自由で楽しいんだ!」と思ってもらうことが目標。